東日本大震災から11年、当日も金曜日でした

私と妻が結婚を決めたのは12年前の12月、入籍したのが11年前の3月16日でした。
考えもしなかった大惨事が東日本を襲った当時、私と妻は、東京都内の会社に勤務してる時で、私の職場では、書類棚が倒れ、棚に陳列していた本やDVDといったものが落ちてきたのを覚えています。妻の職場は高層階にあり、大きくゆっくり揺れ、近隣のビルとぶつかりように感じるほどだったと聞いています。

外に避難して、落ち着いたタイミングでオフィスに戻っても、大きな余震が続き、TVでは地震の続報が放送されていて、各地の被害状況が報告されていました。翌日に妻の両親と私の両親との結婚の顔合わせを控えていた私たちは、その日の夜、私と妻で東京駅から新幹線で広島に行く予定を入れていました。私の両親は、私たちより早めに広島入りしている予定でした。
地震の後、妻と私、双方から携帯電話や会社の電話を使って連絡しても繋がらない状態が続き、就業時間が迫っていきます。個人携帯、会社の携帯、会社の電話、全てを駆使して何度電話したのか覚えていませんが、就業時間近くになってようやく繋がった時に、「とりあえず東京駅に集まろう」と告げて、電話を切りました。

就業時間になって、退勤した後、東京駅に向かって歩き出しました。JRも地下鉄もバスも、全ての公共交通機関が止まってしまっている状態で、歩く以外に手段がありませんでした。オフィスがあった月島から東京駅まで歩きながら、午後3時ころの新幹線で東京駅から広島駅に向かっている予定の両親に電話したり、妻に電話したりしながら、一心不乱に歩きました。
結局、両親にも妻にも連絡がつかないまま東京駅に到着すると、改札がオープンになった状態で、ICカードを使わなくても通り抜けられる状態で在来線の全てが運休。多くの人で混乱状態の東京駅は、まるでドラマや映画の中の世界でした。

到着した旨を妻に連絡するにも、相変わらず繋がらない状態。ひたすら電話するしかない中、繋がった瞬間に「間引き運転で新幹線が動いているから、とりあえず新幹線の改札に集まろう」と告げて電話を切り、新幹線の改札に向かいます。改札の前でなんとか妻と合流することができ、さて、どうしようかと考えましたが、相変わらず両親とは連絡がつかない状態。
両親が広島方面に向かっていてくれていると信じ、妻と一緒に新幹線の改札を過ぎたところで「カズ!」と私を呼ぶ声が聞こえます。声がした方向を見ると、私の両親がいました。この瞬間の安堵感は、忘れられない瞬間です。

この時、1時間に1本程度の本数で、新大阪まで徐行運転で新幹線が動いていました。両親と合流した私たちは、とりあえず新大阪まで行くことに決め、午後8時の新幹線に乗ります。東京駅で妻と合流できたタイミング、両親とばったり出会えたタイミング、本当に運が良かったのだなと感じます。

新幹線に乗ってみると、1車両に10名も乗っていない状況で、チケットの確認もありません。車内アナウンスでは、「安全確認しながらの徐行運転」で自動車のほうが速いような速度での運転。当時の外の状況は分かりませんが、道路状況も大混乱だったのではないでしょうか。
当日中に広島に到着している予定でホテルを予約してたこともあり、広島のホテルには当日中での到着が難しい旨を連絡し、大阪での宿泊先を探すために携帯で調べては、妻と手分けして電話して空き状況を確認し、30件くらい電話したところで、新大阪駅からタクシーで10分程度の場所にあるホテルに空きがあり予約することができました。

新大阪駅に到着したのは、深夜の午前1時。通常2時間30分のところ5時間かかり到着。安全確認しながらの中でしたが、割と早く到着したのかもしれません。新大阪駅に到着して、新幹線改札を通るときも切符の確認は不要で、そのまま、タクシー乗り場に向かいました。タクシー乗り場には、私たちと同じような状況の方々が多くいらっしゃり、見た感じでは70~80mくらいの長蛇の列。タクシーの台数が多く回転が早かったこともあり、さほど待つこともなく、タクシーに乗ることができました。ホテルに到着しても地震のことが気になって仕方ありませんでしたが、あまりに疲れていたこともあり、すぐに就寝しました。

翌朝、朝食を済ませてからすぐ、新幹線の運行状況もわからないままに新大阪駅に向かいました。前日と同じように改札でのチケット確認はなく、博多駅方面の新幹線が運航していたこともあり、広島駅へ向かいます。広島駅では、払い戻しの手続きに列ができていましたが、無事に広島まで届けてくださったこともあり、JRが悪いわけでもないので、払い戻しせずに改札を出ました。
広島駅に到着して妻はそのまま実家へ向かい、私と両親は広島駅直結のホテルにチェックインして、顔合わせの時間まで休憩しながら、TVで放送されている地震の状況を見ていましたが、何が起こっているのか、これが現実なのか、変な感覚でTVを見ていました。
実家がある茨城県でも大きな被害がありましたが、実家自体は大きな被害がなく、姉が実家に行って、割れたお皿やコップなどといったものを片付けてくれました。

気が気でない両親の顔合わせでしたが、無事に顔合わせを済ませられたことに安堵しました。
ある意味、両親が茨城の実家を離れ、地震発生時に東京駅にいたことは、安全面でも良かったのかもしれません。あれほどの大惨事の中、東京駅や新大阪駅、広島駅でしっかりと且つ柔軟に対応してくださったJR職員の皆さまにも感謝しています。また、大阪のホテル、広島のホテルの皆さまの迎えてくださる優しさにも助けられました。

結婚して11年目、今は、コロナウィルスの世界的なパンデミック、ロシアのウクライナ侵攻で世界が揺れいてますが、11年前に結婚できたことで、当時、健在だった祖父母や父といった身近な家族が結婚式で顔を合わせることができたことが、本当に良かったな、と思っています。